ピコピコ電脳記

統合失調症とかゲームアニメの話を少々

エビリファイ9mg二日目

起きてるのがつらい。若干アカシジア気味。増量したばかりだからそのうち慣れると信じたい。趣味もなかなか手付かずで、一日の半分を寝て過ごした。今日は外に出てないから対人恐怖についてはわからないが、家にいる限りでは家族の愚痴とかテレビの音とかつらいなあという感じ。副作用だけが強く出ている気もするが、少し良くなったような気もするのでとりあえずは様子見かな。早く安定してほしい。

今日は進路のことを少し考えていた。転学するか否か。今、自分の障害になっているのは、プレゼンの授業やスピーチの授業、つまり人前に立つことだ。それからグループワークも。転学先のシラバスを見たが、結局そういうものはどこにでもあるのでどうしたものか。一応転学に値するだけの理由はつけられるんだけど、本当にやっていけるかは自信がない。転学って手続きがかなり面倒だし。でも今のまま卒業したってこの業界でやっていく自信はないなあ。何をやるにしろ自信がないね。

なんでもいいから人に褒められるような、自慢できるような特技を身につけたい。今の自分を褒められても何がすごいのかわからないので、それ相応の何かを身につけたい。しかしこんな調子では起きてるのがやっとなので、何もする気になれない。私、なんのために生きてるんだろう。周りの同世代は、これからの未来に向かって好きなことをしたりして突き進んでいるのに、私にはその気力がない。つらいことは我慢できないし、働けないからお金もない。私の心が弱いせいなのだろうか。心を強くするためにはどうすれば良い? 人に好かれるにはどうすれば良い? twitterでよく見る嫌われる人の行動にほぼ全て当てはまってしまう。いっそ嫌いなら嫌いと言って私と関わらないでほしい。そう言われないなら、私は嫌われてないということでいいの? でもあなたは〇〇な人嫌いって、その〇〇は私のことじゃないの? 気にしすぎなんだろうか。でも人と関わるときって嫌いの感情はあっても好きの感情は無い気がする。好きだから付き合うんじゃなくて、嫌いじゃないから付き合うって感じ。好かれたい。私は愛されたい。ひとりの重い愛より100人の軽い好きがほしい。

二面性

今日は診察だった。図書館に行くとまわりの人が気になることを伝えると、「あなたは有名人だからそんな風に感じるの?」と小馬鹿にしたような態度を取られた。おそらく冗談で言ったのだと思うが、本当に馬鹿にしている可能性が一ミリでもある以上、私の中ではそれが全てになってしまう。人間はどうしてこんなに汚いんだろうか。前向きな捉え方をすれば、綺麗な部分と汚い部分の二面性がある、と言える。そう、汚い部分だけではないのだ。しかし現実によく見るのは汚い部分だけで、綺麗な部分というのはあまり見えない。また実際に綺麗な部分を見ても、裏では汚いことを考えているんだとか汚い部分を隠すために綺麗な部分を見せているんだと考えてしまう。逆の発想はほとんどない。つまり、人間の汚い部分はもはや二面性などではなく全てを支配しているとも言える。それ自身が孤立した大きな存在となっているのだ。

どうせみんなは私のことが嫌いなんだとか、私のことを悪く言っているんだと感じるのは、病気のせいで思考が歪められているのか。それとも私自身の性格の問題なのか、わからない。それをどうにか直したいという気持ちはあるが、汚い人間が蔓延っているのは事実だし、高い人間性を持った人間などそうそういない。今は疑心暗鬼に駆られるか盲目的に信用するかの二択しか選べないので、もっと中間的な位置を選択できるようになりたい。人間は悪いところもあればいいところもある、他人はそんなに私のことを気にしてなどいないと、心から思えるようになりたい。もちろん、私が本当に嫌われていなければの話だが。そう思うのは、嫌われて当然だという根拠のある行動をこれまでたくさん取ってきたから。何も適当に言っているわけではない。もう嫌われるとか嫌われないとか、どうでも良いのではないか? 人は一人では生きていけないから、形の上でも適当に群れればよい。心から付き合う必要などないのだ。誰も愛さなければよい。それだけではないか?

2人の自分とその扱い

もう喋りたくない。失言ばかりする。毎日誰と関わってもそうだ。キツい言葉をかけてしまったり、余計なことを言ってしまったり。だからここ二日ほどツイッターも自重した。今日になって大丈夫かなと思い再開したが、やっぱりダメだった。すごく攻撃的になるし、威圧的になるし、自分の知識をひけらかすような発言をしてしまったり、もうどれも私の本音ではないのに発言が一人歩きしている。最早別人のようだ。その別人は毎日毎日私を殺しに来る。だからみんな私と関わらないほうがいいのだ。私は制御できない。もうダメかもしれない。叫びたくなる時もあるし、走り回って暴れたくなる時もある。もう私は私でないのだ。それなのに私のやったことの責任は全て私にある。だから私はもうひとりを止めなければならない。そのためにどうしたら良いのだろうか。

弱者を受け入れる

私は自分の弱さを認めることができない。本当は何もできないし何も知らない、それなのに自分は人より優れていると周りに見せつけようとして、逆にそれが自らを貶めている。ここまで気づいているのに、まだ受け入れることができない。私は未だに自分が病気であることを受け入れられないのだろう。病気でなかった頃の自分が長かったから、今の自分にできること、できないことがまだわからない。健常者の感覚で物事を考えてしまうから、実際の容量を超えてしまって結局できない。失敗からの逃避と、過去の自分への陶酔が、今の私を作り出しているしそれが支えでもある。つまるところ、本当はできるんだと自分に言い聞かせて逃げているだけだ。それからもう一つ、承認欲求を満たしたいという思いがある。昔からそうだった。自分が人より優れてないと落ち着かない。人より優れていないと自分の存在を認めることができない。いや、もっと過激だ。他人が自分より優れている点があるだけで、自分には存在価値がないと思ってしまう。私は能力以外に人間の存在価値を認めることができていない。これは人間として由々しき事態である。しかし私が目指しているのは高度な技術を持った犯罪者ではない。高い人間性を得た人格である。では人間性を磨けという話なのだが、どこから始めたものか。学問をすることが高い人間性の獲得につながると考えていたが、果たしてどうだろうか。その過程に耐えうるだけの器を私は持っているのだろうか。
何もできない自分を受け入れられない理由に、怖さがある。私は異常なまでの価値観を向上心に変えてきた。つまりその価値観を捨てれば私は向上心を失い、現在の地位に甘んじ、低い人間性のまま将来を終えてしまうのではないかという不安がある。一方で、それを認めること自体が一つ上の人間性に移行できるのだという考えもある。現実を見ても、今の価値観は私を苦しめるばかりだ。高い人間性と努力して得る技術は完全に別物だ。過去の自分はこう言った。弱者の立場に甘えるなと。それは改めるべきだといま思う。さて、ここまで分析すれば明日の自分は変われるかな?

居場所

ここにいてはいけない、と思う。家にいると、母は四六時中職場の愚痴を言っているし、姉は自尊心が低すぎて他人に肯定を求める発言ばかりする。私もいずれそうなってしまうのではないかと不安になる。友人といると、いま友人は本当は楽しくなくて、早く帰りたいのではないかと思ってしまう。そこで無理に楽しませようとしても余計空回りするだけだから、私は口に出さずにただその思いを口の中で転がす。飲み込めもしないが外にも出せない。街を歩いているとすれ違う人がみんな私を見ているように感じる。そして責めるのだ。どうしてお前はここにいるのだ? と。私はどこに行けばいいのだろうか。どこに行けば心の平穏を得られるのだろうか。

もう全部終わりにしよう。もういいじゃないか。どうしてこんなに苦しいのに生きていかねばならないのだ? 精神の幸福はどこにもない。生きている限りないのだ。それなのに私は死の自由すらない。魂はこの肉体に強く縛られている。この牢獄をどうして抜け出せばいいのだろうか。

外を歩いても笑われているように感じる。辱めを受けている気分だ。しまいには身ぐるみ剥がされてしまうのではないかと恐怖で仕方がない。今日は友人たちと遊ぶために3DSを買おうと思った。来週は誕生日だし、自分にプレゼントでもしてあげようと思った。しかし私は、店に入ってショーケースを眺め、こんな金額を財布から出すのは怖いと感じそのまま逃げ帰って来てしまった。お金は使うものだろう? おかしな話だ。惨めな気分だ。たかだか2万円の商品も買えない。その後併設されたゲームセンターに行ってワンプレイだけしてきた。とても満足した。本当に私は惨めだと思う。100円で満足できるならそれでよい。乞食になるのも悪くないかもな、と思った。ふふっ。

私は社会生活を送りたくないわけではない。もっと大学で学びたいし、お金が許すなら大学院を出て企業で働きたい。それなのに病気が邪魔をする。何度挑戦しても私の足を挫いていく。もうどうすればよいのだろうか。笑ってくれ。昨日知り合いに会った。中学の時同じ塾だったやつだ。そいつは私より遥かに頭が悪かった。実際高校も偏差値の低いところに入ったし、私は地元でも一、二位を争う進学校に入った。そいつは高校を出た後専門学校を卒業し、大手企業に入社した。その間私は大学を辞め、入り直し、また引きこもるを繰り返している。どこで差がついたのだ? 私の何がいけなかったのだ? 学力じゃなんにもならないじゃないか。なぜだ。私はそいつより努力してきた。そいつは中学も遊んでいたのに、私は部活して毎日遅くまで勉強して席次一位を取ったりしていたのに、なぜ私の努力は報われないのだ? 

私の幸せはおそらくこの世にはない。この世以外の世界があるのだろうか。もうどうでもいい。私の人生はもう終わった。明日の自分よ、どうかこれ以上歳を取る前に魂を解放してくれ。今日はダメだった。何か方法を変えた方が良いかもしれない。

元気そうだね。

元気そうだね。

その言葉がどれだけ私を抉ったかきっと知らないだろう。そりゃ当たり前だ。無理してるんだから。人と話す時、多弁でないといられない。相手が話すと情報が多すぎる。もちろん話してるときは相手の表情も見ない。いつ見たって苦笑いしているように見えるからだ。エビリファイを飲んで対人恐怖は治ったかというと、そんなことはなかった。家族と話すのも未だに怖い。何が怖いかって? 情報が多すぎるんだ。例えば人の心が器だとしたら、私はその器がとても小さい。情報が波だとしたら、注いでもすぐに溢れてしまう。また、普通の人は器に注がれる前にフィルターを通すのだが、私はそのフィルターが壊れているので相手の表情、言葉から出る感情、声のトーン、その全てを、耳に届いたものはすべて受け入れてしまう。結果小さい器に入りきらずに溢れてしまうのだ。だから怖くなる。オーバーフローするのだ。

やはり私は元気そうなのだろうか。そうすれば大学へ行くべきだ。甘えだ。甘えるな。卒業しないでどうするんだ? 高卒大学退学二回の履歴書をどう説明する? わからない。退学届けの手続きをするのも嫌だ。直接教授に顔を合わせたくない。初対面だから何と言われるかわからないし。難易度があって、初対面=苦手な人>知り合い>仲の良い友人>通話>家族という感じなのだが。一番上ですねこりゃ……。さてどうしたものか。もう全て終わらせてしまいたい。この人生、どうやったらゲームオーバーになれますか? 社会生活もまともに送れない奴に未来はない。今もないから。