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ピコピコ電脳記

統合失調症とかゲームアニメの話を少々

パターン

統合失調症

昔から、あらゆる状況を考えてひとつひとつ対策を練っていく癖がある。当然、悪い結果も予想するわけだ。そもそもいい結果なら、対策を抗ずる必要はない。悪い結果を全て潰さないと不安は拭えないし、もちろんそんなことできるはずはない。だからそれに囚われてしまう。最近は、悪い結果を想像することは無意識のうちにそれを引き寄せてしまうことになるのだと気付いた。しかし、全く策がないのも不安だ。そんな時は、こう思うようにしている。良い結果を引き寄せるために、今なにをすべきか。悪い結果を対策するのではなく、良い結果を生み出す行動をすべきだと。明るすぎる未来はいらない。絶望しない程度に、幸せな未来を描けばいい。莫大な幸福はいらない。少しの幸せで生きていける。考え込まないというのはとても大事だ。気持ち的にも、結果的にも。

他者という鏡

統合失調症

自分の顔は鏡で見るか、写真に撮るかという、何かを媒介しないと自分の目で確認することはできない。同じように、自分の内面も他者という鏡でしか確認できない。例えば世界に自分一人だけだとしたら、自分は精神異常者になるだろうか。それはない。理由は説明するまでもないだろう。他者という鏡に写して、初めて自分という存在を定義できる。では、その鏡が歪んでいたとしたら? 割れていたとしたら? 自分の姿は、当たり前に歪んで見えるだろう。正常な姿は歪んで見えるのだ。だから必死になって矯正しようとする。それでも、鏡は無数に存在するから、いろんな鏡を通して見ると自分が歪んでいるように見えてしまう。その際はきっと、歪んで見える鏡を無視するか、折衷案を取るだろう。

では、我々精神病患者は、何を以って歪んでいるとするのか。私にはよっぽど、社会の方が歪んで見える。それを証明する術はない。ただひとつ言えることは、他者が鏡なら、自分も他者から見れば鏡だということ。自分が鏡なら、光を反射させて世界を見ることができるということ。しかしそうなら、自分という鏡で照らして見える世界は、自分が歪んでいれば当然歪んで見えることになる。むしろ私は、自分が歪んでいることを証明しているのではないか? では私は私によって異常であることを証明するのか。私が異常なら、異常である者は異常を定義できるのか。

やめようか、この話。

逢魔時

統合失調症

夜になると格段に調子が悪い。なんというか集中力が落ちるし、頭の整理がつかなくなる。こうなると本当に何をしていてもつらくて、どうしようもない。ロナセンを夕食後に飲んでいるのに、どうしてだろう。まだ効いてないのかな。これが起きている時間が長いとそうなるのか、夜になるとそうなるのかがわからない。だから早めに寝て早めに起きてみようかな。今のままだと一日12時間も起きてられない。それは4月からはかなりまずい。夜はバイトもあるし、どうにかしたい。早く良くならないかな。それとも諦めるか。

再発防止の重要さ

統合失調症

ロナセンを飲んでとりあえず落ち着いてはきたものの、以前と比べると頭は回らなくなった。前も感じていたが、それよりさらに悪い。やっぱり再発防止って大事なんだな。一度調子が悪くなると、もう前には戻れない。慎重に行かないといけないな。簡単に薬を減らすもんじゃない。一週間前の自分に教えてあげたい。まあ今さら悔やんだって仕方ないから、これ以上悪くならないようにしよう。

今は調子も悪いし、自分の殻にこもってないと自分を守れない感じがあるので、4月からの生活がとても不安だ。毎日決まった時間に起きて、決まった場所に行って頭を使って疲れて帰る。そんな生活が私にできるんだろうか。不安しかないが、やるしかないのもわかっている。なんとかなるかな。無理だったらまたその時考えよう。とりあえず今は、残り少ない休みをゆっくり満喫しておこう。

そしてロナセンへ

統合失調症

今日は診察に行ってきた。ロナセンへの変薬になった。ルーランを減量したのは、腕の痛みだとか首が動かしにくいとか足がムズムズするといった症状が出たためであり、これ以上の増薬は無理だと判断したのだろう。とりあえずロナセン4mgとルーラン16mgを併用しての使用だ。なんかロナセン増えてる。減薬前はルーラン20mgを飲んでいたので、今回の服用だとルーラン24mg分になる。4mg増えた。そのような説明はなかったので、薬局から確認してもらったが、間違いはないとのこと。増薬するなら説明して欲しかった。まあロナセンに変薬する旨はもちろん説明されたので、それで理解したのかと思ったのかもしれない。ロナセン4mgとは聞いてないけどな。2mgだと思った。でも飲んだらだいぶ良くなったので、主治医の判断は正しかったということだろう。ロナセンは新しい薬なので、遅発性ジスキネジアやジストニアなどの副作用がどれほど出るのかわからない。そのあたりが不安だが、まあもう出たらその時でなんとかなるだろう。あまり考えないことにした。今週1週間の調子の悪さを体験して、あの状態よりは副作用が出た方がマシかもしれないと思った。でも首が曲がるのだけはできるだけ避けたいな。ロナセン半減期も長いから体に蓄積しやすいのが気になる。半減期が切れる前に服用するから、血中濃度はどんどん上がっていくのだ。でもルーランが合わなかったんだから仕方ないな。使いやすかったけどな、ルーラン。重い副作用はなかったし、効果もあったし。私が気にしすぎだと言ったらそうかもしれない。さあ、この判断が吉と出るか凶と出るか。がんばれ、未来の私。

境界の崩壊

統合失調症

ちょっと韻を踏めたとか思ってない。思ってないから。ごめんなさい。話を戻そう。

自分と他の物との境界が崩壊している。街の景色も、そこを歩く人も、怖い。中に入ってくるというか、情報が多すぎて脳がオーバーフローしている。だから自分の殻に閉じこもるしかない。周囲に対してとても過敏になっている。部屋にいても外で音がしたらものすごく気になる。自分が溶けてなくなって、街に同化してしまうような感覚にとらわれている。視線恐怖はあんまりないかな。ただぼうっと、人を眺めてしまう時はある。何か意味があるような気がして。そこにいる人たちの感情を、私は知らなければならないような衝動に駆られる。

今日は免許センターに行って診断書を取ってきた。遠い。もう正直免許は取りたくないが、バス通学はお金がかかる。バイクに乗るのは怖い。危ないから、というより、運転に対する恐怖がある。自分が運転する姿を想像してみた。曲がる時の判断、後ろから迫り来る車、向こうから走ってくる車、どれも怖い。慣れれば平気になるだろうか。あんまり無理だったら、腹をくくってバスにしようと思う。明日は明日で用事があるし、調子が悪いのでとてもつらい。でも明日、診察を入れたのでなんとかなってほしい。書類も用意しないといけないし、本当に大変だ。がんばるしかない。

最近よく考えるのが、統合失調症現代社会が生み出しているのではないかということ。現代社会は、特に労働環境において、過酷である。そんなストレスフルな環境で働くことはとてもつらい。正直、就活が怖い。私は統合失調症になってからとても人付き合いが苦手になった。思考吹入と対人恐怖が発現したのだ。自分の殻にこもっていたい、そう思うようになった。そんな中で、会社という組織で人間関係を構築することは、私にはとても困難に思える。まああんまり先のことを考えても仕方がないので、まずは大学にしっかり通って単位を取ることを目標に頑張っていけばいい。最悪、というか、一つの選択肢として、公務員も十分ありうる。そうなると専門職にはつけないが、IT系の労働環境は本当にヤバいので、ある程度諦めはついている。うーん。とりあえず明日、頑張ります。

世界が変わった

統合失調症

世界がおかしい。全てがおかしい。自分もだ。外を歩いていると、いろんな情報が中に入ってくる。処理しきれない。怖い。みんなが私に悪意を持っている。何かに迫られている。落ち着かない。やらなければいけないことは目の前にあるのに、何も手につかない。何をしていいかわかっているはずなのに、わからない。できない。辛うじて自我を保っているが、他者との境界がなくなってしまいそうだ。私は私で、君は君。私は君で、君は僕……? 違う、そうじゃないんだ。私は私なのだ。何か巨大なモノに飲み込まれそうだ。思考が汚染されていく。崩れていく。誰かが私を狙っている? 違う。大きな、とても抗えない存在が、私を覆い隠そうとしている。私であることを揺るがせて来る。わかったぞ、この世の全てだ。他者だ。おまえだ。入ってくるな! 私の中に入ってこないでくれ! 私とおまえの境目を崩さないでくれ。頼む。私は私であることが生きていると言うことなのだ。精神を、心を、奪われ、肉体だけの生は、死なのだ。やめろ。やめてくれ。私の器では受け止めきれない。溢れていく。溢れた雫はどこへいく? 情報の海にのまれそうだ。私は私なのだ。放っといてくれ。他者との関わりで自我を証明させないでくれ。そんなものは何にもならない。