ピコピコ電脳記

統合失調症とかゲームアニメの話を少々

漠然としたもの

不安というのはつかみどころがなくて、それでいて人間を支配する。ある種の恐怖だ。恐怖は人を動かす。人は安心を求めて様々な行動に出る。時にそれが残酷だとしても。心とは脳だ。しかし心というものは絶えず変化する。周りの環境に対応して形を変えていく。一つにとどまることはない。心が脳ならば、我々の脳はなぜ漠然とした問いに囚われてしまうのだろうか。理性を獲得しながら、その理性によって苦しめられる。本能を捨てきれないからだ。では本能を持たない個体が生きているか。答えはノーだ。人間は、脳を発達させ、その英知を武器に自然と戦ってきた生き物だ。生きるために手に入れた知恵に苦しめられるのは、結局本能を脅かすことになるのではないのか。集団生活に馴染めない社会不適合者。集団生活の中で生じる自己犠牲と、自我の存在。両立させている人間が果たしてどれだけいるのか。

たとえばの話

たとえば、私が統合失調症になっていなかったら、どんな人生を送っていただろう。普通に大学を卒業して、社会人になって、結婚して、子供を産んで、働いて、病気になったり寿命を迎えたりして死ぬ。そんな当たり前の生活を送ったのだろうか。別に悲観的になっているわけではない。ただ、有りもしないもしものことを考えているだけだ。無駄なのはわかっている。それでも、自分が病気でなかったら、今よりもっと質の高い生活ができたのだろうかと思わずにはいられない。不安になっているわけでもない。統合失調症になったって、普通の生活をすればいい。それだけだ。ただそれが、とても苦労のいるものだという話。私は何を望むか。お互い支え合っていけるようなパートナーと出会い、幸せな家庭を築いて、生活には困らず、趣味も程よくできる。高望みだろうか。普通とは何だろう。

最近、頭が悪くなっている。頭が働かない。ゆっくりと、頭の回転する速度が遅くなっている。最後には止まってしまうじゃないだろうか。その最後っていつ? 明日かもしれない。そうなった時、私は私を認識できるか。その自信はない。私という個体と、他人という個体の区別がつかなくなってしまうのではないか。そうなった時、私はどこへ行くのだろう。ここじゃない第三世界へ行けるんだろうか。魂を肉体の牢獄に閉じ込めなくて済むんだろうか。私としては、魂は肉体の一部だと思っている。だから、第三世界などなく、死んだらそのまま無くなってしまうのでないか。自分の存在が全て、この世から無くなってしまうのではないか。それ自体は悲しいことではない。ただどこか胸が痛む。きゅーっとする感じ。この痛みも、焦りも、不安も、全部肉体が感じることで、心とは脳であり、魂などどこにもない。

だから私が私でなくなったら、それは、死と同義だ。

私は明日死ぬんだろうか。それは病気など関係なく、誰にも平等に与えられた、同じ価値。私は今、私の全てを使ってこの文章を書いている。これが今の私の精一杯だ。笑ってくれ。自分の衰退を感じながら、ただそれを眺めるしかない、老いた者のような感覚。私が私だと証明できるのは、私だけだ。その私は、ゆっくりと、朽ちていく。

未来あるはずの若者は、ついに、夢から覚めることはなかった。同じ夢だけを、繰り返し見続けて。

結局、何もしなかった

一日様子を見ようと思った。左腕に違和感があるのも、気のせいかもしれない。そんなはずないのに。だから今日は病院に電話しなかった。明日はするんだろうか。ちょっと動かしにくいだけで、生活に支障があるわけではない。迷っている。こういうのは早期治療が必要だ。早ければ早いほどいい。しかし、減薬にはリスクがある。試験前にそのリスクを冒してまですることかと、この前の診察でそういう話になった。もうわからない。何でもいいや。

最近勉強をしていないので、頭を使わず、一日中ゲームしたり動画を観たりssを読んだりしている。デレステのコミュを一日一つずつ消化してもいる。やっぱりイベントはちゃんと走ろうと思った。私はまだデレステを始めて半年にも満たない新規で、参加したのはちょうどデレステ1周年の時期。初めてのイベントはBeyond the starlight。だから報酬の智絵里が取れなかった。その後のイベントで一番感動したコミュは、Jet to the future。なつきちとりーなの魅力がわかって本当に良かった。これには参加していたし、怠惰がなければ十分報酬も取れたので、走らなかったことをとても悔やんでいる。今回のイベントはポジパなので、今回からはきちんと走ろうと思った。そんなわけで、全然頭を使うことをしていないのである。とても楽だ。毎日が楽しい。こんなに怠惰な生活を送って良いものか自己嫌悪に陥りそうだが、そんなことはどうでもいいくらい楽だ。なぜ勉強していないかって? 大学に行きたくなくなったから。正確にいうと、いま志望している学部に行きたくなくなったから。だから試験まで勉強しないと決めた。A判定は出ている。受かったらもちろん行くしか選択肢はない。要するに、神に託したわけだ。まあいまの学部もどうしても行きたくないわけではないから、少し過去問を解くくらいはやろうかなとも思うけど、前日まで何もしなさそう。ずっとゴロゴロしてるし、ここに来て怠惰の味をしめてしまった。いけない人間になるなあ。でもそんなに頑張って生きていかなくてもいいんじゃないのか?テキトーでいいや。ダメ?

左腕の違和感

ここ数日、左腕のしびれがあった。それが今日になって、痛みと動かしにくさが出た。前々から足のむずむずがあって、試験が終わったらルーランを減らそうという話をしていたが、明日病院に電話してみようと思う。調べて確信を得たが、ルーランの副作用だ。原因は、高用量での使用だと思う。24mgを1ヶ月、その後20mgを1ヶ月飲み続けてこれだ。やはり薬は少ないに限るな。調子が安定してきたら減薬からの断薬にも挑戦したい。もちろん5年とか10年とかそういう単位で考えている。漫然と飲み続ける薬ではないのだ。少しずつ、薬に頼りながら薬のない生活にシフトした方が断然いい。もちろん、そこで失敗して悪化しては元も子もないので、とても慎重に、長い時間をかけて行わなければならない。焦らず、冷静に対処して行こう。

最近は顎も痛いし、もしかして頭痛があるのも筋肉が強張っているせいではないかと思ってきた。顔全体の筋肉が強張っているのだ。まあ減薬で様子を見るのか、変薬するのかは相談してみないとわからない。その辺も含めて、主治医と話そうと思う。

希望がない

将来への希望がなくなった。やっていけるのかという不安。やるしかないのだ。わかっている。やりたくないんだ。じゃああなたのやりたいことってなに? 何をしていれば幸せなの?わからない。わからないから、立ち止まっている。でも立ち止まっていては何も解決しない。見つけるしかないのだ。自分のやりたいこと、幸せを。本当は気づいているのではないか? それでも私は、選べない。時計の針は戻らない。進むしかないのだ。もう一年待つのはあまり得策ではない気がする。途中で気が変わってしまったら。そうならない自信はない。でも今回は、最初に選んだものに戻るだけだ。だから最初から私のやりたいことは変わっていなかったのでは? わからない。私はどうしたらいいのだろう。どうするのが、幸せになれる?

不安

やれるのか、という不安に対して、やるしかないと返している。今は12時間寝ないとやっていけないし、日中もほとんど活動せずに自分のペースでダラダラしている。こんな状態で、4月からやっていけるのだろうか。朝早く起きて、夕方まで外にいる。もう一年様子を見た方がいいんだろうか。前に進むペースを上げすぎているのではないか。でも、ある程度のプレッシャーを与えられるとできるようになるかもしれない。朝起きられないのだって、朝起きる必要がないからではないのか。いや、どうだろう。試験の日は朝早く起きたが、正直二日間だったから続けられたと思った。もう、時計の針は戻らない。前に進むしかないのもわかっている。しかし、いざやれと言われてできるものなのだろうか。できるなら、私は大学を辞めなかったはずだ。精神論でどうにかなる話ではない。それが病気というものだ。今、私にはエネルギーがない。毎日12時間起きているだけで正直精一杯だ。私は重大な選択を迫られている。でもこればっかりはやってみないとわからないところもある。もう失敗はできない。だから、たぶん私はやるという選択を取るだろう。途中で立ち止まってしまわないか不安だ。頑張るうちに、どうして頑張るんだろうと思い始めたら先に進めなくなる。それでも、だ。いつかは前に進まなければならない。今なんだろうか。もう一年経てば何かが変わるんだろうか。