ピコピコ電脳記

統合失調症とかゲームアニメの話を少々

お金が無いと鬱になる

私がこの病気を発症したのは、大学生の頃である。始めは眠れなかったり、周囲の視線が気になる程度だったが、徐々に家から出られなくなり、昼夜逆転の生活をしていた。もちろん取れた単位はゼロ。学校に行かず、大学の保健センターでカウンセリングを受けていることが家族に知られ、半ば強制的に実家へ戻って来た。

それから一年経って、今年、2回目の大学受験をする。そこで大きな問題となるのが、お金だ。私は母子家庭である。最近やっと母子家庭になった。私が生まれた時から両親の仲は悪く、6年の別居を経てようやく離婚。だから私は仲の良い家族を知らないし、お金も昔から無い。私は父親の愛情を知らないし、母も仕事と父のこと、それから母の実家のことで手一杯なのはわかっていたから、何もかも一人で解決してきた。いつだって頼れるのは自分だけ。もちろん安心感などどこにもない。いつも不安だった。こんな家庭環境なので、大学に行くと言えばもちろん奨学金を借りることになる。そして私は、奨学金を借りて大学に入学した。そして中退した。今は借金の返済だけが残っている。

というわけで、2回目の大学入学にも金が必要だ。始めは、母と相談して母も出してくれると言ったので、2人で貯めることにした。もちろん、貯まるはずなどなかった。そうなるとまた奨学金を借りねばならない。そのことを兄と母の前で相談した。するとこう言われた。

「もっと働いて自分で奨学金を払え。その覚悟が無いなら借りるな」

なんとまあ頭に来た。私が幼いのかもしれない。もちろん、自分の進学費用なのだから、最初から自分で返すつもりだ。ただ、借りている奨学金が在学期間中から返済が始まるので、今以上にバイトを増やさねばならない。今より働けと。つまり今の私は、働いていないように見えるわけだ。病気でも無理して働け。そう言っているようにしか私には聞こえなかった。やっぱり私が幼いのかもしれないし、悲観的になっているのかもしれない。統合失調症で無かったら、私は臆面せずに当たり前だと言っただろう。やり場のない怒りを覚えた。誰も悪くないのだ。父がいないことも、家にお金がないことも。世の中には親の金で大学に行き、免許を取り、車を買って大学に通う者もいる。そんな人達も悪くないのだ。ではどうして私は自分のお金で大学に行かねばならない? 行かせてもらえるのが当たり前だと思っているんじゃない。世の中には親の金で大学に行く人もいるのに、どうして私は将来の自分から借金をせねばならないのだ?

誰も悪くないのだ。だから余計に苛立ってしまう。どうして私はこの病気になったのだ? ならない人もいるのにどうして私なのだ? どうして私にはお金がないのだ? どうして私は幸せな家庭を知らないのだ? 考えればキリがない。それでも、私と同じように奨学金を借りてバイトをしながら大学に通っている人はもちろんいる。私の友人にもいる。その人との違いは、統合失調症であるかないかである。私が悪いのだろうか。私の心がもっと強ければ、病にかかるような弱い心でなければ、強く生きられたのだろうか。そんなことを考えても無駄なのだ。

私はもうこれ以上、病気を理由に何かを諦めたくない。私は夢を諦めた。その話はまたいつかしようと思う。

大学にも行きたい。私は学問が好きだ。許すなら修士号を取りたい。だから私は戦わねばならない。自分との戦いだ。倒れないように、少しずつ前に進まねばならんのだ。統合失調症でも幸せになれることを、私は証明する。それが私の為すべきことだ。