ピコピコ電脳記

統合失調症とかゲームアニメの話を少々

弱者を受け入れる

私は自分の弱さを認めることができない。本当は何もできないし何も知らない、それなのに自分は人より優れていると周りに見せつけようとして、逆にそれが自らを貶めている。ここまで気づいているのに、まだ受け入れることができない。私は未だに自分が病気であることを受け入れられないのだろう。病気でなかった頃の自分が長かったから、今の自分にできること、できないことがまだわからない。健常者の感覚で物事を考えてしまうから、実際の容量を超えてしまって結局できない。失敗からの逃避と、過去の自分への陶酔が、今の私を作り出しているしそれが支えでもある。つまるところ、本当はできるんだと自分に言い聞かせて逃げているだけだ。それからもう一つ、承認欲求を満たしたいという思いがある。昔からそうだった。自分が人より優れてないと落ち着かない。人より優れていないと自分の存在を認めることができない。いや、もっと過激だ。他人が自分より優れている点があるだけで、自分には存在価値がないと思ってしまう。私は能力以外に人間の存在価値を認めることができていない。これは人間として由々しき事態である。しかし私が目指しているのは高度な技術を持った犯罪者ではない。高い人間性を得た人格である。では人間性を磨けという話なのだが、どこから始めたものか。学問をすることが高い人間性の獲得につながると考えていたが、果たしてどうだろうか。その過程に耐えうるだけの器を私は持っているのだろうか。
何もできない自分を受け入れられない理由に、怖さがある。私は異常なまでの価値観を向上心に変えてきた。つまりその価値観を捨てれば私は向上心を失い、現在の地位に甘んじ、低い人間性のまま将来を終えてしまうのではないかという不安がある。一方で、それを認めること自体が一つ上の人間性に移行できるのだという考えもある。現実を見ても、今の価値観は私を苦しめるばかりだ。高い人間性と努力して得る技術は完全に別物だ。過去の自分はこう言った。弱者の立場に甘えるなと。それは改めるべきだといま思う。さて、ここまで分析すれば明日の自分は変われるかな?